甘春堂と七條甘春堂の違い!京都の老舗和菓子店、なぜ2つある?

京都のお土産や和菓子を調べると必ず目にする「甘春堂」と「七條甘春堂」。名前がとてもよく似ているため、「同じお店の支店?」「読み方が違うだけ?」と混乱してしまった経験はありませんか?

どちらも歴史ある京菓子の老舗ですが、この二つは明確に異なるお店です。

結論から言うと、両者はもともと一つの「京菓子甘春堂」でしたが、後に分社し、現在は経営が異なる「別々のお店」として運営されています。

この記事を読めば、この二つの老舗の歴史的な関係性、現在の店舗や商品の違い、そしてなぜ名前が似ているのかという理由まで、スッキリと理解できます。

京都観光やお土産選びで、自信を持ってお店を選べるようになりますよ。

結論|甘春堂と七條甘春堂の違いを一言で

【要点】

「甘春堂(かんしゅんどう)」と「七條甘春堂(しちじょうかんしゅんどう)」は、どちらも慶応元年(1865年)創業の京和菓子店です。元は一つの「京菓子甘春堂」でしたが、六代目の時代に「販売会社 甘春堂」と「製造会社 七條甘春堂」に分社しました。現在は経営者が異なる「別のお店」として、それぞれ本店を構え営業しています。

最大の違いは、歴史的な経緯により分社し、現在はそれぞれが独立した和菓子店である、という点です。

名前が似ているのは、ルーツが同じであるためですね。

「甘春堂」と「七條甘春堂」の違い 一覧比較表

項目 甘春堂(かんしゅんどう) 七條甘春堂(しちじょうかんしゅんどう)
創業 慶応元年(1865年) 慶応元年(1865年)
創業者 初代 藤屋清七 初代 藤屋清七
現在の関係 別経営(元は同じ店) 別経営(元は同じ店)
本店の場所 正面通(豊国神社・方広寺近く) 七条通(三十三間堂・智積院近く)
公式サイトURL kanshundo.co.jp 7jyo-kansyundo.co.jp

【重要】甘春堂と七條甘春堂は「別経営」の和菓子店

【要点】

「甘春堂」と「七條甘春堂」は、ルーツを同じくするものの、現在は完全に別の会社・店舗として運営されています。店舗の場所も、主力商品も異なります。

京都の和菓子店として、どちらも非常に有名ですが、現在はそれぞれが独自の道を歩んでいます。

甘春堂(かんしゅんどう)とは?

「甘春堂」は、豊臣秀吉を祀る豊国神社や、方広寺(京の大仏)の近く、「正面通」に本店を構える老舗和菓子店です。

慶応元年(1865年)に初代・藤屋清七が創業して以来、伝統の技術を守り続けています。公式サイトによれば、豊国神社や旧六条御所などの御用達も務めてきた歴史があります。

七條甘春堂(しちじょうかんしゅんどう)とは?

「七條甘春堂」は、三十三間堂や智積院の近く、「七条通」に本店を構える老舗和菓子店です。

こちらも同じく慶応元年(1865年)に初代・清七が土産菓子を商いとしたのが始まりとされています。

「七條」という名前は、本店の場所が七条通にあることに由来していますね。近年では、「ポケモン京菓子」など、伝統技術と新しい感覚を融合させた商品も手掛けています。

歴史と関係性|元は一つの店が「分社」した

【要点】

両社の歴史は慶応元年に初代・藤屋清七が創業した「京菓子甘春堂」に始まります。その後、六代目の時代に「販売会社 甘春堂」と「製造会社 七條甘春堂」に分社し、七條甘春堂が製造部門を受け継いだとされています。

共通のルーツ「慶応元年創業」

両社の公式サイトや紹介ページを見ると、どちらも「慶応元年(1865年)」「初代・藤屋清七」を創業の起源としていることがわかります。

もともとは一つの「京菓子甘春堂」として、東山の大仏正面(現在の甘春堂本店の場所)で和菓子作りを営んでいました。

六代目での「分社」が違いの始まり

この2つの店が分かれた経緯について、「七條甘春堂」の公式サイトの沿革にヒントがあります。

そこには、「六代 会社組織にし、百貨店に進出する。販売会社甘春堂と製造会社七條甘春堂(弊社)に分社し、七條甘春堂が、従来の製造部門を全て受け継ぐ事となる。」と記されています。

この分社を経て、それぞれの道を歩み始め、現在では「経営者の異なる別のお店」として認識されています。

歴史を共有しつつも、現在は異なる2つの老舗が、京の和菓子文化を支えているのです。

店舗の場所と特徴の違い

【要点】

「甘春堂」の本店は豊国神社に近い「正面通」にあります。「七條甘春堂」の本店は三十三間堂に近い「七条通」にあります。観光の際には場所を間違えないよう注意が必要です。

名前が似ているため、京都観光の際に訪れる場所を間違えてしまうケースがよくあります。本店の場所は明確に異なります。

甘春堂(本店:正面通)

「甘春堂」の本店は、方広寺(京の大仏)のまさに正面、豊国神社のすぐ近くにあります。

この立地から、豊臣秀吉にちなんだお菓子なども作られています。

七條甘春堂(本店:七条通)

「七條甘春堂」の本店は、その名の通り「七条通」に面しており、三十三間堂や京都国立博物館のすぐ近くです。

どちらの店舗も東山エリアにありますが、歩くと少し距離があるため、目的地がどちらの「かんしゅんどう」なのかを事前に確認しておくのが賢明ですね。

代表的な商品の違い

【要点】

両店とも伝統的な京菓子を扱っていますが、代表銘菓は異なります。「甘春堂」は豊国神社御用達の「豊太閤」などが知られ、「七條甘春堂」は羊羹「天の川」や「亀山」などが有名です。

経営が異なるため、取り扱っている商品もそれぞれ独自のものがあります。

甘春堂の銘菓

「甘春堂」の沿革ページなどでは、銘菓として豊国神社御用達の「豊太閤(ほうたいこう)」などが挙げられています。豊臣秀吉ゆかりの地に本店を構える同店ならではのお菓子です。

七條甘春堂の銘菓

「七條甘春堂」では、美しい夜空を映したような京羊羹「天の川」が非常に有名です。また、本店では水分がほとんどない「ぜんざい」のような「亀山」といった、独自の甘味も提供されています。

【体験談】京都でのお土産選びで混同した記憶

僕も京都旅行の計画を立てていた時、この2つの「かんしゅんどう」に悩まされました。

友人に「三十三間堂の近くにある有名な和菓子屋さんに寄りたい」と話したところ、「ああ、甘春堂さんね。豊国神社の近くだよ」と返事があり、話が噛み合わなかったのです。

よくよく調べてみると、友人が言っていたのは「正面通の甘春堂」、僕が行きたかったのは「七条通の七條甘春堂」だったことが判明しました。

どちらも慶応元年創業で、どちらも東山にある老舗。地元の人でも、歴史的経緯(分社したこと)を知らないと、一つの店だと誤解してしまうのも無理はないなと感じました。

結局、その時は三十三間堂の拝観後に「七條甘春堂」本店に立ち寄り、お土産に美しい羊羹を買って帰りました。もしあの時、友人の言葉を鵜呑みにして「甘春堂」本店(正面通)に行っていたら、「あれ?三十三間堂から結構歩くな…」と戸惑っていたことでしょう。

京都の地図を広げる際は、「七條(しちじょう)通にあるのが七條甘春堂」「正面(しょうめん)通にあるのが甘春堂」と覚えておくのが一番確実だと学んだ体験です。

甘春堂と七條甘春堂に関するよくある質問(FAQ)

結局、「甘春堂」と「七條甘春堂」は同じ会社ですか?

いいえ、違います。ルーツは同じ「京菓子甘春堂」ですが、六代目の頃に分社し、現在は「甘春堂」と「七條甘春堂」という別々の会社(お店)として運営されています。

どちらも「かんしゅんどう」と読むのですか?

「甘春堂」は「かんしゅんどう」と読みます。「七條甘春堂」は「しちじょうかんしゅんどう」と読みます。「かんしゅんどう」という響きは共通していますね。

創業が同じなのはなぜですか?

元は一つのお店だったからです。どちらも慶応元年(1865年)に初代・藤屋清七が創業した歴史を引き継いでいるため、創業年と創業者が同じになっています。

まとめ|歴史は共通、今は別々の魅力を持つ京菓子の老舗

「甘春堂」と「七條甘春堂」の違い、これで明確になりましたね。

  • 共通点:慶応元年(1865年)創業。初代・藤屋清七をルーツに持つ。
  • 違い:六代目の時代に分社し、現在は「甘春堂」「七條甘春堂」という別経営の会社である。
  • 見分け方:「甘春堂」は正面通(豊国神社近く)、「七條甘春堂」は七条通(三十三間堂近く)に本店がある。

どちらも京都を代表する京菓子の名店であることに変わりはありません。

歴史的な背景を知った上で、観光ルートや好みに合わせて、訪れるお店を選んでみてはいかがでしょうか。他のスイーツ・お菓子の違いを知ることも、京都の奥深い食文化をさらに楽しむきっかけになるはずです。