「謁見(えっけん)」と「拝謁(はいえつ)」、どちらも高貴な方に会う際に使われる言葉ですが、その違いを正確に説明できるでしょうか?
結論から言えば、「拝謁」は「拝む」という字が含まれる通り、自分の行為をへりくだって言う「謙譲語」であり、現代の日本では特に天皇皇后両陛下にお目にかかる際に使われます。
この記事を読めば、それぞれの言葉が持つ本来の意味や、どのような相手・シチュエーションで使うべきかが分かり、歴史小説を読む時やニュースを見る時の理解度が格段に深まります。
それでは、まず二つの言葉の決定的な違いから詳しく見ていきましょう。
結論:一覧表でわかる「謁見」と「拝謁」の最も重要な違い
「拝謁」は「つつしんで会う」という謙譲の意が強く、主に天皇陛下にお目にかかる公式な用語として使われます。「謁見」は「貴人に会う」という行為自体を指す客観的な表現で、海外の王族や歴史的な文脈で広く使われます。
まず、結論からお伝えしますね。
「謁見」と「拝謁」の最も重要な違いを、以下の表にまとめました。
これさえ押さえれば、基本的な使い分けはバッチリです。
| 項目 | 謁見(えっけん) | 拝謁(はいえつ) |
|---|---|---|
| 中心的な意味 | 身分の高い人に会うこと | つつしんでお目にかかること |
| 敬語の種類 | 一般的な敬語(改まった表現) | 謙譲語(自分を低めて相手を高める) |
| 主な対象 | 王族、教皇、将軍、大統領など | 天皇皇后両陛下、皇族方 |
| 視点 | 客観的な「会見」の事実 | 下から上を見上げる「拝礼」の心 |
一番大切なポイントは、「拝謁」には「拝(おが)む」という字が入っているため、自分を低くするニュアンスが非常に強いということです。
現代の日本においては、宮内庁などの公式な記述で、天皇陛下にお会いすることを「拝謁」と表現します。
一方で「謁見」は、もう少し広い意味で「身分の高い人に会う」ことを指し、海外のニュースで「ローマ教皇に謁見する」といった場合によく使われます。
どちらも「目下の者が目上の者に会う」という構図は同じですが、その「へりくだり度合い」と「対象となる相手」に違いがあるのですね。
なぜ違う?漢字の成り立ち(語源)からイメージを掴む
「謁」は「告げる」「まみえる」を意味し、目上の人に会うことを指します。「拝」は「頭を下げてお辞儀をする」意味です。「謁見」は会う行為そのものに焦点があり、「拝謁」は礼拝の姿勢で会うという謙譲の態度に焦点があります。
なぜこの二つの言葉にニュアンスの違いが生まれるのか、漢字の成り立ちを紐解くと、その理由がよくわかりますよ。
「謁見」の成り立ち:「謁」は身分の高い人に告げること
「謁(エツ)」という漢字は、「言(ごんべん)」に「曷(カツ)」を組み合わせたものです。
「曷」には「なぜ・いつ」といった問いかけの意味もありますが、「謁」となると「目上の人に告げる」「まみえる(会う)」という意味になります。
つまり、「謁見」とは「目上の人のところへ行って(謁)、姿を見る(見)」という、会うというアクションそのものを表す言葉なのです。
「謁見の間」という言葉があるように、公式に会うための場所や儀式としての側面が強い言葉ですね。
「拝謁」の成り立ち:「拝」は身体を折り曲げる動作
一方、「拝謁」の「拝(ハイ)」は、「おがむ」「頭を下げる」という意味です。
これは、両手を合わせて頭を下げる動作から来ており、相手に対する最大の敬意と、自分を卑下する態度を示します。
したがって「拝謁」は、「頭を低く下げて(拝)、目上の人にお目にかかる(謁)」という意味になります。
単に「会う」だけでなく、そこに「つつしんで」「ありがたく」という心の姿勢がセットになっているのが「拝謁」なんですね。
具体的な例文で使い方をマスターする
日本の皇室行事や叙勲などで天皇陛下にお会いする場合は「拝謁」を使います。海外の王族や宗教的指導者、あるいは歴史的な文脈で将軍などに会う場合は「謁見」を使うのが一般的です。
言葉の違いは、具体的な例文で確認するのが一番ですよね。
それぞれの言葉がどのようなシチュエーションで使われるかを見ていきましょう。
「謁見」を使うシーン
「謁見」は、海外の要人や歴史上の人物に対して使われることが多いです。
【例文】
- 新しい駐日大使が、国王陛下に謁見した。
- 信長は宣教師フロイスの謁見を許可した。
- ローマ教皇への謁見は、信徒にとって生涯の夢だ。
このように、客観的に「身分の高い人に公式に会う」という事実を伝える際によく使われます。
「拝謁」を使うシーン
「拝謁」は、現代日本では主に皇室に関連する用語として使われます。
【例文】
- 文化勲章の受章者が、皇居で天皇陛下に拝謁した。
- 園遊会に招かれ、両陛下に拝謁する栄誉を賜った。
- (歴史的文脈で)臣下が君主に拝謁を願い出る。
「拝謁」を使うことで、会うこと自体の恐れ多さや感謝の気持ちが含まれる表現になります。
これはNG!間違えやすい使い方
意味は通じますが、違和感を与える使い方もあります。
- 【NG】社長に謁見する。
- 【OK】社長にお目にかかる(面会する)。
社長は確かに目上の人ですが、「謁見」や「拝謁」を使うのは大げさすぎます。
これらは基本的に、王族や皇族、国家元首クラス、あるいは歴史的な主君に対して使う言葉だからです。
ビジネスシーンで使うと、「社長を王様扱いしているのか」「皮肉か?」と受け取られかねないので注意が必要ですね。
【応用編】似ている言葉「引見」との違いは?
「引見(いんけん)」は、目上の人が目下の人を呼び寄せて会うことを指します。「謁見」や「拝謁」が「下から上へ会いに行く」視点であるのに対し、「引見」は「上から下へ招く」視点である点が最大の違いです。
「謁見」や「拝謁」と似たような場面で使われる言葉に「引見(いんけん)」があります。
これも歴史小説などでよく見かけますが、視点が全く逆なので覚えておくと面白いですよ。
「謁見」や「拝謁」は、基本的に「目下の者」が主体となって、目上の人に会いに行く行為です。
それに対して「引見」は、「目上の人」が主体となって、目下の者を自分の元へ引き寄せて会うことを指します。
例えば、「将軍が諸大名を引見する」というように使います。
同じ「会う」という行為でも、誰の視点で語るかによって言葉が変わるのが、日本語の奥深いところですね。
「謁見」と「拝謁」の違いを学術的に解説
「拝謁」は絶対敬語の一種として、特定の対象(皇室)に対して固定的に用いられる傾向があります。「拝」の字が持つ謙譲性は、行為者の主観的な敬意を表出する機能があり、公的記述においても格式を保つために採用されています。
ここでは少し専門的な視点から、この二つの言葉の機能について解説します。
日本語の敬語体系において、「拝謁」は「謙譲語I(向かう先への敬語)」に分類されますが、その中でも特定の対象にのみ使われる「絶対敬語(最高敬語)」に近い性質を帯びています。
近代以前の敬語法や現代の皇室用語において、「拝」を冠する語彙(拝見、拝聴、拝受など)は、動作主(自分)を低めることで相対的に対象を高める機能を持ちます。
特に「拝謁」は、宮内庁の公式発表や叙勲の記述などで定型的に用いられており、単なる「会う」の謙譲語である「お目にかかる」よりも、さらに一段高い格式と儀礼的な意味合いを含有しています。
一方、「謁見」は「会見」の尊大語的な位置づけであり、動作の方向性は「下から上」ですが、そこに含まれる敬意の濃度は「拝謁」に比べて客観的です。
このため、報道などでは、外国の王族や元首との面会には事実関係を伝える「謁見」が、日本の天皇陛下との面会には敬意を最大限に表す「拝謁」が選択される傾向にあります。
詳しくは文化庁の「敬語おもしろ相談室」などの資料でも、敬語の基本的な考え方を学ぶことができます。
社長室に行くのを「謁見」と言ってしまった僕の失敗談
僕も昔、この「謁見」という言葉で恥ずかしい思いをしたことがあります。
新入社員の頃、歴史小説にどっぷりハマっていた僕は、日常会話でも少し古風な言い回しを使うのがマイブームでした。
ある日、社長に呼び出された僕は、緊張と高揚感からか、隣の席の先輩にこう言って席を立ったんです。
「それでは、社長に謁見して参ります!」
先輩はコーヒーを吹き出しそうになりながら、「お前、社長は王様かよ(笑)」と突っ込んでくれました。
その時は「え?尊敬語として間違ってないですよね?」とキョトンとしていたのですが、後から考えると顔から火が出るほど恥ずかしい。
「謁見」という言葉には、「雲の上の存在に、許しを得て特別に会う」というような仰々しいニュアンスが含まれています。
一社員が社長に会うのに使うには、あまりにも大げさで、下手をすれば「社長を独裁者扱いしている」という皮肉にも聞こえかねません。
社長室に入った時、社長が苦笑いしていなかったのが唯一の救いですが、もし聞こえていたらと思うと冷や汗ものです。
この経験から、言葉は単に意味が合っていれば良いのではなく、その場の空気感や相手との距離感(TPO)に合わせて選ぶことが大切だと痛感しました。
皆さんも、上司や社長相手に「謁見」「拝謁」を使うのは避けて、「お目にかかる」「面談する」といった普通の敬語を使ってくださいね。
「謁見」と「拝謁」に関するよくある質問
ローマ教皇に会うのは「拝謁」ですか?「謁見」ですか?
一般的には「謁見(一般謁見)」という言葉が使われます。カトリック中央協議会などの公式な案内でも「一般謁見」という用語が用いられています。ただし、信者の方が個人の信仰心から「拝謁」という言葉を使うことは間違いではありません。
天皇陛下に会うことを「会見」と言ってはいけませんか?
「会見」は主に対等な関係、あるいは公的な立場同士が会う場合に使われます(例:記者会見、首脳会見)。天皇陛下に対して一般の人が会う場合に「会見」を使うのは、敬意の度合いとして不十分とされることが多く、慣例的に「拝謁」が使われます。外国の要人と会われる場合は「ご会見」や「ご引見」と表現されることもあります。
「お目通り」とはどう違いますか?
「お目通り(おめどおり)」は、身分の高い人に会うことを指す言葉で、「お目にかかる」の名詞形です。「謁見」や「拝謁」よりもやや砕けた、あるいは古風な日常語に近いニュアンスがあります。時代劇などで「お目通り願いたい」といったセリフでよく使われますが、現代のビジネスシーンでも「お目通りがかなう」のように使うことができます。
「謁見」と「拝謁」の違いのまとめ
「謁見」と「拝謁」の違い、スッキリご理解いただけたでしょうか。
最後に、この記事のポイントをまとめておきますね。
- 基本は「敬意の深さ」:「拝謁」は「拝む」の字の通り、自分を低めて相手を敬う「謙譲」の意が強い。
- 使い分けの対象:日本の天皇陛下には「拝謁」、海外の王族や歴史上の人物には「謁見」が一般的。
- 視点の違い:「謁見」は会うという事実(客観)、「拝謁」は会わせていただくという心(主観)。
- 日常での注意:ビジネスで社長や上司に使うのは大げさすぎるのでNG。「お目にかかる」を使おう。
言葉の背景にある漢字の意味や、使われてきた歴史を知ると、ただの暗記ではなく、その場の空気にふさわしい言葉を自然と選べるようになります。
これからは自信を持って、ニュースや小説の中でこれらの言葉を味わってくださいね。
言葉の使い分けについてさらに知りたい方は、敬語の使い分けの違いまとめや、漢字の使い分けの違いまとめもぜひご覧ください。
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