「あんな息子は勘当だ!」「もうあいつとは絶縁する!」
ドラマや小説などで、人間関係の断絶を表す際によく聞かれる「勘当」と「絶縁」。似たような状況で使われるため、違いがよく分からないという方も多いのではないでしょうか。
実はこの二つの言葉、主に関係性の対象(親子か、それ以外も含むか)という点で使い分けられます。
この記事を読めば、「勘当」と「絶縁」の本来の意味から、現代での使われ方、さらには法的な効力までスッキリと理解できます。もう二度と、どちらを使うべきか迷うことはありません。それでは、まず最も重要な違いから見ていきましょう。
結論:一覧表でわかる「勘当」と「絶縁」の最も重要な違い
「勘当」は主に親子関係で親が子に対して使い、「絶縁」は親子を含むより広範な人間関係で使われます。どちらも現代の法律上、関係を法的に断ち切る効力はありません。
まず、結論からお伝えしますね。
「勘当」と「絶縁」の最も重要な違いを、以下の表にまとめました。これさえ押さえれば、基本的な使い分けはバッチリです。
| 項目 | 勘当(かんどう) | 絶縁(ぜつえん) |
|---|---|---|
| 中心的な意味 | 親が子との縁を切ること。特に、子が親の意向に背いた場合など。 | 関係やつながりを断ち切ること。 |
| 対象となる関係性 | 主に親子関係(親→子)。師弟関係で使われることもある。 | 親子、兄弟、親戚、友人、恋人など、広範な人間関係。 |
| 誰から誰へ | 主に目上(親、師匠)から目下(子、弟子)へ。 | 双方向で使われる(例:友人同士がお互いに絶縁する)。 |
| ニュアンス | 罰としての意味合い。江戸時代の制度に由来するやや古風な響き。 | 縁を切る、関係を断つという一般的な表現。 |
| 法的効力 | なし。親子関係を法的に解消することはできない。 | なし。法的な関係(相続など)には影響しない。 |
一番の違いは、「勘当」がほぼ親子(または師弟)関係に限定されるのに対し、「絶縁」は友人関係など、もっと広い範囲で使われる点ですね。
また、どちらの言葉も、法的な親子関係や親族関係を断ち切る力はないということも重要なポイントです。
なぜ違う?言葉の成り立ち(語源)からイメージを掴む
「勘当」は罪や過ちを“考え当てる”ことから縁を切る意味に、「絶縁」は“縁を絶つ”という文字通りの意味から関係断絶を表すようになりました。
なぜこの二つの言葉に違いが生まれるのか、それぞれの言葉の成り立ちを見ていくと、そのイメージがより鮮明になりますよ。
「勘当」の成り立ち:「勘」と「当」が示す“罪を問い当てる”イメージ
「勘当」の「勘」という漢字には、「よく考える」「調べる」といった意味があります。「勘案(かんあん)」や「勘査(かんさ)」といった言葉に使われますね。そして「当」には、「あてる」「あたる」という意味の他に、「罪にあてる」、つまり罰するという意味合いがあります。
元々は、罪や過ちをよく調べて問い当てる、という意味で使われていた言葉が、江戸時代頃から、親が子や奉公人の義理を欠いた行為などに対して、縁を切るという意味で使われるようになったと言われています。
つまり、「勘当」には、子の過ちや親の意に背いた行為に対する罰として関係を断つ、というニュアンスが根底にあるんですね。少し古風で、厳格な響きを感じさせるのは、こうした背景があるからでしょう。
「絶縁」の成り立ち:「絶」と「縁」が示す“関係を断ち切る”イメージ
一方、「絶縁」は非常に分かりやすい成り立ちです。「絶」は「たつ」「たえる」、「縁」は「えん」「つながり」を意味します。
文字通り、関係やつながりを断ち切ることを直接的に表す言葉です。そのため、親子関係だけでなく、友人、親戚、同僚、恋人など、あらゆる人間関係において「縁を切る」という意味で広く使われます。
「勘当」のような、特定の関係性(親子・師弟)や罰としての意味合いは薄く、より一般的な「関係断絶」を示す言葉と言えるでしょう。
具体的な例文で使い方をマスターする
「跡継ぎとしての自覚がない息子を勘当する」のように親子間で使うのが「勘当」、「金銭トラブルが原因で友人と絶縁した」のように広い関係で使うのが「絶縁」です。
言葉の違いは、具体的な例文で確認するのが一番ですよね。
どのような場面で「勘当」と「絶縁」が使われるのか、見ていきましょう。
「勘当」を使う場面
主に親子関係、または師弟関係において、目上の者が目下の者に対して使います。
- 「家の名を汚すような真似をした息子を、父親は勘当した。」
- 「親の決めた結婚相手を断り、駆け落ちした娘は勘当された。」
- 「何度も店の金を使い込んだため、旦那から勘当を言い渡された。」(奉公人など)
- 「師匠の教えに背き、破門同然に勘当された弟子。」
現代では、昔ほど厳格な意味で使われることは少なくなりましたが、重大な裏切りや親の意向への反発があった際の、感情的な縁切り宣言として使われることがありますね。
「絶縁」を使う場面
親子、親戚、友人、恋人など、より広範な人間関係で使われます。どちらからともなく関係を断つ場合にも使えます。
- 「長年にわたる金銭トラブルの末、兄弟は絶縁状態となった。」
- 「裏切りが許せず、親友と絶縁した。」
- 「価値観の違いから、彼らは互いに絶縁を選んだ。」
- 「あの事件以来、私は彼ら一族とは絶縁している。」
- 「親子の縁を絶縁したいと考える人もいるが、法的には不可能だ。」
「絶縁」は、「勘当」よりも日常的に使われることが多く、関係を断ち切る際の一般的な表現と言えるでしょう。
これはNG!間違えやすい使い方
意味が通じなくはないですが、本来の使い方とは異なる例を見てみましょう。
- 【△】「金銭問題で、友人を勘当した。」
- 【OK】「金銭問題で、友人と絶縁した。」
「勘当」は基本的に親子・師弟関係で使う言葉なので、友人関係に使うのは不自然です。「絶縁」を使うのが適切ですね。
- 【△】「息子から絶縁を言い渡された。」
- 【OK】「息子から、もう親子の縁を切りたいと言われた。」(あるいは、状況によっては「息子に勘当された」という感情表現も)
「絶縁」は双方向で使えますが、「勘当」が親から子への一方的な宣言であるのに対し、子から親へ「絶縁する」と言うのは、言葉の本来のニュアンスとは少しずれます。もちろん、感情的な表現として使われることはありますが、より一般的な言葉で表現する方が誤解は少ないでしょう。
現代では言葉の意味も変化していくので一概には言えませんが、本来の意味合いを理解しておくと、より適切な言葉選びができますね。
【補足】「勘当」「絶縁」に法的な効力はある?親子関係は切れるのか
日本の法律(民法)では、親子関係を法的に解消する制度はありません(特別養子縁組などを除く)。したがって、「勘当」や「絶縁」を宣言しても、親子としての法的な権利義務(扶養、相続など)はなくなりません。
ドラマなどで「勘当だ!」と宣言されると、本当に親子関係が切れてしまうような印象を受けますが、実際のところはどうなのでしょうか?
結論から言うと、「勘当」にも「絶縁」にも、法律上の効力は一切ありません。
日本の民法では、実の親子関係(自然血族関係)を法的に解消する制度は、原則として存在しません(※)。たとえ親が「お前とは縁を切る!」と宣言しても、子が「もう親とは思わない!」と宣言しても、戸籍上の親子関係がなくなることはないのです。
これは、親子関係が単なる個人の感情だけでなく、扶養義務や相続権といった法的な権利・義務と深く結びついているためです。
したがって、
- 親が子を「勘当」しても、親には子に対する扶養義務(子が未成年などの場合)が残りますし、子には親の財産を相続する権利が原則として残ります。
- 子が親と「絶縁」しても、状況によっては子に親への扶養義務が生じる可能性がありますし、親の遺産を相続する権利も失われません。
もちろん、「相続させたくない」という親の意思があれば、遺言によって子の相続分をゼロにしたり、「相続人の廃除」という法的な手続きをとったりすることは可能です。しかし、これは「勘当」や「絶縁」とは別の手続きであり、家庭裁判所の審判が必要など、簡単ではありません。
つまり、「勘当」も「絶縁」も、あくまで感情的な関係の断絶を示す言葉であり、法律上の親子関係や親族関係には影響を与えない、ということを理解しておく必要がありますね。
※例外として、特別養子縁組が成立した場合は、実親との法的な親子関係は終了します。
「勘当」と「絶縁」を経験した(?)祖父の話
僕の亡くなった祖父は、若い頃、かなりのやんちゃ者だったと聞いています。祖父の実家は地方のそこそこ名の知れた旧家だったらしいのですが、祖父は家業を継ぐのを嫌がり、役者を目指して勝手に上京してしまったそうです。
当然、祖父の父、つまり僕の曽祖父は激怒。「家の恥だ!もう敷居を跨ぐな!勘当だ!」と、それはそれは大変な剣幕だったとか。祖父は仕送りも止められ、しばらくは本当に実家と没交渉状態が続いたそうです。
「わしは勘当された身だから」というのが祖父の口癖で、僕も子供の頃は、祖父は実家とは完全に縁が切れているのだとばかり思っていました。
ところが、曽祖父が亡くなった時、状況は少し変わりました。祖父は葬儀には出席しませんでしたが、その後、弁護士を通じて連絡があり、なんと祖父にも遺産が相続されることになったのです。
あれだけ「勘当だ!」と言っていた曽祖父ですが、法的な手続き(相続人の廃除など)は取っていなかったようです。もしかしたら、心のどこかでは祖父のことを許していたのかもしれませんし、あるいは単に手続きが面倒だったのかもしれません。
祖父は相続した遺産の一部を使い、小さな劇団を立ち上げました。結局、役者として大成はしませんでしたが、生涯好きな演劇に携わることができたのですから、幸せだったのかもしれません。
この話を聞いたとき、子供心に「勘当って言っても、親子は簡単には切れないんだな」と感じたのを覚えています。言葉の上での「勘当」や「絶縁」と、法的な関係は別物なのだと、祖父の人生が教えてくれたような気がします。
「勘当」と「絶縁」に関するよくある質問
「勘当」は親子以外でも使いますか?
本来は親子関係で使われる言葉ですが、師匠が弟子に対して使うこともあります。また、比喩的に、組織やグループが特定のメンバーとの関係を絶つ際に使われることも稀にありますが、一般的ではありません。友人関係などで使うのは不自然です。
「絶縁」されたら相続権はなくなりますか?
いいえ、なくなりません。「絶縁」は感情的な関係断絶を示す言葉であり、法的な効力はありません。親子や兄弟姉妹などの法定相続人であれば、相手から「絶縁だ」と言われても、原則として相続権は維持されます。ただし、遺言や相続人廃除の手続きによって、相続分がなくなったり減らされたりする可能性はあります。
現代で「勘当」という言葉を使うのは適切ですか?
「勘当」はやや古風で強い響きを持つ言葉です。親子間の深刻な対立を表す際に感情的に使われることはありますが、日常的な場面で気軽に使う言葉ではありません。特にビジネスシーンなど公の場では、誤解を招く可能性もあるため、「関係を断つ」「距離を置く」など、より現代的で穏当な表現を選ぶ方が無難でしょう。
「勘当」と「絶縁」の違いのまとめ
「勘当」と「絶縁」の違い、これでスッキリしましたね。
最後に、この記事のポイントをまとめておきましょう。
- 対象が違う:「勘当」は主に親子・師弟関係(目上→目下)、「絶縁」は親子を含む広範な人間関係(双方向)。
- ニュアンスが違う:「勘当」は罰としての意味合いが強くやや古風、「絶縁」は一般的な関係断絶。
- 法的効力はない:どちらも感情的な宣言であり、法的な親子・親族関係(扶養、相続など)を解消する力はない。
言葉の成り立ちを知ると、なぜ「勘当」が親子関係中心で使われ、「絶縁」がより広く使われるのか、納得できますよね。ドラマのような強い言葉ですが、法的な意味合いは持たないという点も、現代社会では重要な知識です。
これらの違いを理解して、言葉の背景にあるニュアンスを感じ取りながら、適切な場面で使い分けていきましょう。人間関係に関する言葉の使い分けについて、さらに知りたい方は、社会の言葉の違いまとめページも参考にしてみてください。
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